本村太(もとむら・ふとし)プロフィー

   本村太は1972年3月に、
両親の実家にあった京都で生まれました。

それから、どんな生活をして育ってきたのかについて
こちらで公開(後悔?)したいと思います。

□うまれてから住んでいた家の中では
 
 私の実家は、京都なので京都の病院で生まれました。

親が戦後生まれの高度成長期の世代を生き抜いてきたので
当然ながら、それから先の私の人生は、団地住まいです。

国家公務員なので、
全国に転勤があり、その度に私はついて行きました。

母親は専業主婦なので、頼れる人も周りにいないので、
強いふりをしてきたのだと思います。


父は、仕事一筋でいつも酔っぱらって帰ってきては、
母親から、
「お父さんだめね〜。はやく寝させないとね〜」
と言われていたり、
休みの日に父がごろごろしていると
掃除の事などでけんかをしている二人の姿が見られました。

このころ、私は、
「大人はきついな〜。けんかばっかりして。何が楽しいのかな〜」
と思ったものです。

でも、思っていたのは、
「仕事を頑張りさえすれば男はいい。
優しい嫁さんが家庭を守ってくれる。」
といった漠然とした今思うと甘い思いでした。


□受験戦争に勝ち抜いて
 
 公務員に生まれた私は、母親からよく
「家では、あなたに財産は残せないから安定している仕事に就きなさい。」
と言われたものです。


そのために、
塾に行かされ、周りに競争のある環境の中で育ち
点数で順番が張り出される塾や

点数がとれないと、やめさせられたりする塾にいき
無理やり頑張らされる環境におりました。


その結果、
熊本の進学校(熊本高校)に合格できました。


□浮き沈みの繰り返し人生
 
 進学校の学力では500人中489番になり
(欠席者が5人ぐらいはいたと思うので、実質ワーストベストテンに入っていました。)

父親も単身赴任だったので、なぜがやる気が無くなり
ゲームセンター通いで、そのまま浪人しました。

浪人して頑張り始め、
国立大学(静岡大学)に合格し学生時代を始めました。

学生時代は、私も、倹約をすることが当たり前だっだので
家賃1ヶ月1万円の4畳半キッチン・風呂・トイレ共同の下宿に
4年間住み込みました。


学力はあったので、
すぐに採用され、教育者になりました。


教育者になると、
教科書の内容は教えることはできるけど、


子どもたちのココロをコントロールすることができないで、
威圧的な対応をすることで対応するものの、
親からの苦情にも悩まされ続けました。


そんなとき、彼女ができて、
彼女に会うことが自分の心の支えになり結婚をしました。


□結婚してから

 子どもも生まれ子育てしていても、
仕事を一生懸命することが正しいことと思っていて

それなりに成功していた自分は、
仕事を優先し、家に帰ったらくたくたになる生活でした。

仕事のきつさは、
妻も分かってくれるものと思っていたけれど、

妻自身も仕事をしていたので、

私の「男は仕事が1番、家庭は2番」の論理は通用せず、
大声を出してのけんかの毎日でした。


そのうち、
子どもからも、「パパはイヤ〜」と泣かれる毎日で
ついに、子どもをつれて実家に帰られてしまいました。


家庭裁判所で調停を行い、子どもの親権の話し合いをするなど、
さんざんの日々を過ごしました。


実は、裁判をするとなると、
相手の悪いところばかりを記録していなければならないので
自分自身が暗くなり、私自身もうつ的な傾向が見られ始めました。


髪の毛が抜け始め、記憶が飛んでいき、
とても30代の風貌でなくなっていました。

そんな時、不登校をしていた子どもが命を絶つ経験もし、
私生活も仕事もぼろぼろで

仕事中に体に力が入らず、救急車で病院送りにもなりました。


教育者としても、クラスが崩壊し、
全体の指揮を任されなくなり、
個人相手の不登校生を相手にするように言われ、
配置換えをうけました。


□どうにもならない状況から現在まで
 
 自分の努力だけではどうにもならない状況から、
たくさんの人の意見を聞こうと、たくさんの本を読んだり
多くのセミナーに参加しました。

カウンセラーの資格もとりました。


すると、

成功する人には、共通点がたくさんあることが分かり
実際に自分で実践をしていきました。


特に、自分自身が子育てでも率先して動き、
子どもが自分の方によってくるようになり、

少しずつ人生が変わり始めました。


不登校の親にも、子どもが望ましい方向に改善していくことで
私の話を聞いてくれるようになりはじめました。

特に、カウンセリング技術を使うことで、
親が勝手に話し始め
涙し、納得され、感謝されて
帰られる様子を何度も経験することは
一番驚きました。


不登校対策の方法の仮説と検証を繰り返し、
だんだんと自分の考えが正しいことに気がつき始め、

同じように苦しんでいる人に伝え、
私のような苦しみを持つ人たちの悩みを早く救いたいと考えるようになりました。


しかし、考えれば考えるほど

私の現在のやり方では、
ある大きな問題にぶち当たってしまうことに気づかされました。


というのは、先ほど申し上げましたように

私は、@〜Dの経路を使って不登校に対応していました。


@
人間関係で傷ついた不登校の子どもを
時間をかけて、ありとあらゆる方法で心をほぐし、
親の望ましい方向に改善していく。

A
その子どもの劇的な変化の様子を目の当たりにすることで
親の信頼関係を少しずつ勝ち得る。

B
親が少しずつ私の言葉を信じて行き、
親自身が安心してご自分のことを話し始める。

C
親の言葉を元に、一緒にトライ&エラーをしながら、
乗り越えながら、少しずつ親が変わっていくことで、
子どもの情緒が急速に安定していく。

D
子どもの心の元気を取り戻し脱不登校が完成!


しかし、@〜Dの問題は、

この方法では時間がかかりすぎてしまうのです。


@〜Bの具体的な期間を言うと、(程度の差はありますが・・)
@だけで、半年〜1年 Bまでに1〜3年かかることが多々あります。

(幸い私の噂が広がることで、その期間は少しずつ短くなっていきましたが・・・。)


教育者の立場では、子どもとかかわれる期間は最大3年間です。


卒業まで1年のところで、私のところに来ても
時間切れになってしまうことが多いのです。


でも
Cになると、早いのです。


と同時に
Cになると気づいた事が出てきました。


それは、
実は不登校の問題を抱えている親は、
夫婦問題を抱えている人が多いのです。


その夫婦問題解決方法を、
自分自身の経験を元に伝えて行くことで、
夫婦関係を改善させていくことが出来ました。


夫婦が力を合わせたり、親が子どもと話し合うことで
早い人は、数日でDのステージにいき
不登校から脱する事例がたくさんみられました。


こうした成功事例を見ている内に
私は、世の中の悩んでいる親をもっと多く、もっと早く救いたい。
できれば、Cから始めることは出来ないだろうかと考えました。


そこで、2007年、自分の研究の成果をDVDに収録し世に発表しました。

ホームページを読まれて、信じてもらえる方だけに購入していただき
無料メール相談を、日々の日課にしています。


たくさんのメールに答えていく内に、
たくさんの親の感謝の手紙等をいただき、
今現在さらに、頑張りたいと思っています。

私も相談に頑張った後のお客さんの感謝の声ってうれしいものですよ!

おかげさまで、現在やる気に満ちています。


先日、相談していた人から、
「本村さんって、人のためばっかりですね。自分のためはないんですか?」
ときかれ、答えに一瞬困りました。

「人のためにしていると、いつか帰ってくるから、
 結局自分のためなんだよ〜。あなたもそのうち帰してね〜」と言ったら

「そのうち返します!」と言われ

またまた元気になりました!!

インターネット上でもリアルのビジネスでも
5年以上活動していることも
皆様の信頼を獲得することができたのか、

ブログ「家族先生 本村」→ http://ameblo.jp/kimuhide3

夫婦関係改善プログラム→ http://fuufukaizen.jp

もスタートすることができました。
そちらの方もよろしくお願いします。

また、現在は、あなたの目標達成を一緒に
実現する元気をつけて行動してもらう
コーチとしても活動を開始しています。

今後も様々な活動を通して
子育て・夫婦関係で迷える親に自分の経験を伝え、
一人でも多くの親が苦しみから解放されて、
幸せをつかんで欲しいと思っています。

協力してくれるあなたと一緒にそんな学校を作りたいとも思っています。

今後みなさんと成長して
しっかりその流れを作っていきます。

あなたと一緒に頑張りたいです。
よろしくお願いします。